マリエの昔話 後編







マリエンヌの昔話。

高校時代から現在までまた振り返りをば。






だいぶ色々削ったんですが

それでも今回ものすごい長い記事に…

ごめんちゃい( ;ω; )







今までの人生の中で

かなり病んでたと思う時期が大きく3つあって





一つ目は前回書いた中学校の時




二つ目は大学の時に付き合ってた人と修羅場の上、大大大失恋した時(恥)




三つ目が東日本大震災があった年に色々あった時なんだけど





二つ目については今回あまり関係ないのと

書くと本当に収拾つかないくらい長くなるから削った

って言う裏話をここに置いていきます…


てへ。


青春。





そんなことまで晒さなくていいか…笑

ということで、続きです。

第一弾はこちら






‐‐‐‐‐‐






どうにかこうにか中学校を無事に卒業して

県内のそれなりの進学校に進んだ。

この頃の方が確実に写真撮り慣れてた

ここでも弾けキャラ(?)ではなかったけど

かなり友達に恵まれたし

自然と毎日が楽しかった。

部活の大会

テストだらけの学校で

土日もテスト→部活みたいな3年間だったけど

しっかり勉強しようって雰囲気も好きだったし

部活も抜かりなくやれるし

どっちも全力でやっても恥ずかしくない

そういう雰囲気が、実は大好きだった。

前髪マリエンヌ

似たような考えの子も多かったし

中学よりも大人になってきていたから

少しずつ”多様性”っていうものを受け入れ始めていた時期だったと思う。







ただ将来の夢について。

高校入学当初は

将来何したいかなんてわからないし

とりあえず親が法学部だったから

それでーなんて思ってたけど

政経の成績は( ತಎತ)だったので

これではないのだろうとは思っていた。





‐‐‐






何故か昔から

人の悩み相談を受けることが多くて

それは高校に行っても相変わらずだった。




本気で進路を考え始めた時

もしかして

わたしはこういう分野が得意なのかな?

と、ちょっと興味が湧いて

わたし自身もすごく考える性格だし

だったら本格的にそっちの勉強しても面白いかもしれないなと

明らかにワクワクというか

法律よりは前のめりで勉強できそうだなと感じて

大学は心理学を勉強できるところに絞って受けた。







受験勉強中は

天下の女子高生時代をほぼ捨てて勉強していた。

(例:化粧時間30秒眉毛シュシュっ)



その後無事に

心理学を勉強できるところに受かって

ついに実家から離れた。






念願の都会進出である。





‐‐‐






初っ端は一人暮らしではなくて

12畳に4人が暮らす寮に入っていた。

夜遊び


築ウン十年

月7000円弱(水道光熱費込み)

大浴場(夜中お湯止まる)

共同キッチン

毎週会議がある

と良くも悪くも色々あった寮生活だったけど

わたしにとってかなり強烈な思い出になっている。






この寮に入ったおかげで

自分はお酒が好きだと自覚したし(そこ)

いわゆる青春もたくさん経験した(お察しください)

大学で部活にも入って

学校→部活→バイト みたいな

今思うと本当に夢中でがむしゃらに活動していた。

純粋に楽しかった。

教大協で鳥取にダンス踊りに
バイトは本当に楽しかった







その一方で

“自分の本当のキャラ”の自覚というのか

そんな感覚があって狼狽えてもいた。




高校まで自分を抑え気味に生きてきた反動なのか

わたしこんなキャラだったっけ?!

と自分で自分に驚くというか

それを受け入れるのにワタワタしていた。






‐‐‐




小中高の友達は

わたしのことを”かくさん” ”かく” って

苗字のあだ名で「意図的に」呼んでもらっていた。

名前で呼ばれるのが何故か本当に嫌だった。







大学に来てから

もちろん”かくちゃん”と呼ばれることもあったんだけど

“まりえ”って呼ばれることも多くなって

でもそれに別に嫌悪感も感じることもなかった。




今思うとすごく恥ずかしいんだけど

何故か”まりえ”って下の名前を呼ばれると

自分の”弱い部分”というか

“女っぽいところ”をつつかれるような

見られたくない部分を見られる感じがあった。



でも地元離れて

新しい人間関係を築くにつれ

別に弱くてもいいんじゃないか?

と思うようになり

そこへの変なこだわりはなくなった。





ただ

過去の自分と今の自分のギャップに

あれ?わたしどうやって過ごしてたんだっけ?

と間でぐるぐる揺れることも多くあった。



‐‐‐



さらに

家庭環境にも変化というか歪みが出始めてた時期でもあった。





わたしはどちらかというと

自分より相手が幸せであれば良い

と思ってしまうところがあって

そういう意味で

(相手が望んでいるいない関わらず)

自分より家族のために生きようとしている自覚が当時すでにあった。

あえてそうしている時もあった。







だけど家族から離れて暮らす日数が増えるにつれ

そして家族内の不協和音が響くにつれ

あれ?自分の人生を生きるってなんだろう

今までの生き方じゃない生き方の方が良いのか?

でも家族は?

と葛藤することが多かった。






自分自身との葛藤と

家族との葛藤を抱えたまま卒業し

東京で就職をする。




‐‐‐




2011年

就職して2年目のこの年は

地震もあったし

それ以上に色々ありすぎて

忘れられないくらい人生の激動を感じた年だった。





さらりと書くと




大きめの家庭内の問題が起こって

色々な人を巻き込みながらわたしもどんどん疲弊して

ついでに当時の恋人とそれがきっかけで別れ

当時の会社がなくなるかもしれないとか

かと思ったら死ぬほど忙しくなったりとかで

何が何だかよくわからなくなってた。




ついでに体調も崩していた。






ただ

この一連のゴタゴタは

もう、自分のために生きよう

と決意するキッカケになった。





薄情なんだけど

もう、家のために生きる必要はないなと

ある意味解放された気持ちになっていた。





本当の意味の

自分のために生きるってどういうことか?

を全力で模索し始めた時期だ。




‐‐‐





その後

ある意味いろんなことに吹っ切れたわたしは







自分が惚れ込んだ土地に引っ越して

興味あるものを片っ端にやり出して

バンドだったり海外旅行だったり音楽フェス行ったり

おそらく我慢し続けていたであろうことをやり続ける。




そしてこの辺からはもうここ5年のことで




誰かを直接助けることができるかもしれないと

ヨガのインストラクターの資格をとり

仕事を辞め

もっと外の世界が見たくなって

カナダに行って今に至る。











終わり雑か( ತಎತ)




最後は超絶雑になったけど…





こんな感じの32年間だった。





‐‐‐






今回いくつかの大きな病み期を書いてますが

これを越えられたのは

完全に周りに助けてくれる人たちがいたからでした。

周りに助けられてきた人生。

わたしは常に人に恵まれてます。





前回

”未来はいいものになると信じて疑わなった”

って書いてますが

恐らく

いつも助けてくれる人達が絶対いたから

常に前を向けていたんだと思います。







そうじゃなかったら

たぶんわたし中学で潰れてました。





‐‐‐






考えすぎるなよ

とか

デフォルトでよく言われているわたしですが





考えすぎない…( ತಎತ)









ってどうすればいいのだ( ತಎತ)?!

と結局考えてしまうので

そしたらいっそのこと

気持ち悪いレベルで

考えすぎてしまえばいいのでは

の今のところの結果が

マリエンヌの性格を形作っています。




それで32年間生きぬいてきました。





思考オタクです。





読んだ人は

どう思ったかはわからないけど…

まあこんなわたしですが

これからもどうぞよろしくお願いします!






わー!!!

よくぞここまでたどり着きました(パチパチ)






長々とお付き合いいただき

ありがとうございました!